よんだほん

本の内容をすぐ忘れちゃうので、記録しておくところです。アフィリエイトやってません。念のため。

育児は仕事の役に立つ 「ワンオペ育児」から「チーム育児」へ

 本書が執筆された目的は、いろいろあろうかと思うが、自分はあとがきのこの一文に集約されると感じた。

あえて、「育児は仕事の役に立つ」、という切り口でのお話を展開してきたのは、何よりもまず、思うように仕事ができずに後ろめたい気持ちでいる子育て世代にエールを送りたいという気持ちからです。

 自分自身の見えている世界でしか語れないのだが、自分も子育て世代のひとりとして、「仕事」と「子育て」の合間に翻弄される一人である。(今日まさに週明け早々子どもが体調を崩し、予定していた仕事のほとんどを進めることができないまま一日を終えようとしている。)
 独身時代は、もっと仕事や仕事以外の合間の活動、みたいなところに傾いたライフバランスをしていた。ようやく仕事が分かってきていろいろ世の中と自分の頭が紐づいてくるかと思えたころに「子育て」が重なり、そうした「仕事」と「仕事以外」の合間の活動みたいなところにかけられる時間が減っていった。最近、自分の人生・キャリアはこれでいいのか、と思いがちだった。
 本書では、そうした「仕事」と「子育て」を、全く関連のない別の活動と捉えず、ひとつの人生としてつながり合い、影響を与えているとしている。なんとも勇気をもらえたような気がした。

本書の大まかな要旨「育児は仕事の役に立つ」
  • 育児も「子を育てる」というゴールに向けて協働で進むものと捉えれば、仕事と同じチームで行うプロジェクトである。
  • 「協働の計画と実践」「家庭外との連携」など、積極的に他者との協働により育児を行った人は、仕事の上でのリーダーシップ能力の向上が見られる。(※育児だけで、職業能力が身につくわけではない点に留意)
  • 「家庭外との連携」を行いながら育児をすすめると、「マネジメント的役割に対する魅力」の認識を向上させるほか、自身の人格的な成長も促される。
「チーム育児」を進めるための「1ふりかえる」「2見直す」「3やってみる」

 最終章に、上記のモデルが提案されていた。とはいえ、これについては、要するにpdca的な話だと思う。ひとまず個人のレベルでざっくりいえば「ちゃんとパートナーとコミュニケーションを取るように普段から意識しときましょ」「困ったときにはちゃんと助けを呼びましょ(ヘルプシーキング思考)」ということに尽きると思う。チーム育児をするからには、一にも二にもコミュニケーションである。そういう意味では、古から言われているようなことのような気もする。(それをちゃんと研究をもって明らかにしたことに意義があるのだが。)

ーーー
 毎日チビたちに翻弄はされつつも、総じてみれば子育てはオモシロイと感じている。同時に子育て難しいなあとも思うし、子育て向いてないなあと思うこともある。とはいえ、1・2年前よりはだいぶ家庭もうまく回るようになってきた。そして子の心の成長とともに、自分自身も学び・体験させてもらえる物事の幅が広がってきていて、そう考えていくと、やはり子育ては、自分の人生経験を広げる意味で、とてもよかったと思っている。
 昨今は、結婚しない、子どももいらないという考え方がどんどんと広がりを見せていて、それはそれで選択なのでいいのだが(自分のまわりにもたくさんいるので)、そんなに子育てって捨てたもんじゃないですよ、と心の中では声高らかに叫んでいる。

社会起業家になりたいと思ったら読む本 ~未来に何ができるのか、いまなぜ必要なのか~

 政府セクター側にいる人間として、政府セクターの限界は日々感じるところである。すべてのステークホルダーに対して「よい顔」をしなければならない政府に、社会課題を粘り強く解決することは構造的の困難だ。だからこど、社会課題の解決に、ソーシャルイノベーションの必要性は疑うところはない。この本は、自分自身が社会起業家になりたいというよりは、社会起業家と公のよりよい関係性づくりの参考となればと思いよんだ本である。
 ただし本書の全体としての感想は、きわめて一般的・抽象的な内容を、淡々と浅く言及している印象。唯一教育や政府など、自らのイメージがついている部分はともかく、あまり解像度が上がらなかった。固有名詞としての事例は多数登場するが、その紹介の必要性もよくわからなかった。よく言えば完結に結論が書かれているということなのだが、その結論に至るまでのコンテクストの言及が少なく目が滑ってしまった。結果として、もともと感じている課題感を再認識しただけで終わってしまい、自らの考えに新たな変化を生み出すことはなかった。その点、実際の社会起業家である著者自身が自伝的に書いた下の図書のほうが、熱量が伝わり、理解しやすかった。

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そもそも10年以上前の図書であることには留意しつつ、公側の人間として気になった部分だけをメモしておく。

政府は、自ら組織を運営し全国サービスを提供するよりも、優れた社会起業の成長やスケールアウトに加担する役割を(P53)

 全く同感であり、政府セクターの基本的に本書が対象としているのは(おそらく)一定のマクロな規模感の社会起業家と、国家レベルの政府を想定しているものと思われる。そのため地方政府セクターの役割や地方政府の置かれている現状までが想像されているようには思われない。地方政府レベルのレイヤーでは、そもそもそうした「種」や「市民」すら存在しないケースも多い。本書では、そうした種を育てるのが政府の役目とするが、種はどこから誰が蒔くものなのかについては、言及不足に感じる。

すでに完成した解決策に対価を支払うやり方をやめて、出資のようなかたちであらかじめ資金援助をするのが望ましい(P55)

 これも全く同感である。社会課題は、基本的にはビジネス的解決が適さないとされるから、社会課題であり続けるということであり、その解決には資金調達がなければ成り立たない。一方、地方政府レベルにいると感じるのは、古から補助金制度などで様々な社会課題に対する事業活動の支援を行っているが、結局のところ補助の切れ目が縁の切れ目であり、「自走」する気がないか、あるいはビジネス的解決がどう考えても適さない、という活動であることが多い。また、出資するという方法についても、その効果をどう図るか、政府として腹をくくれるかどうかは、むしろ市民側・ジャーナリズム側の寛容さ、リテラシーにかかっていると感じる。

高い成果をあげる組織はみな、「これ」という成果指標を持っています。(P150)

 政府セクターにおいても、いわゆる行政評価(政策評価・施策評価)をどう行うかは、長年の課題であり、今後も課題であり続けるものと思う。いくらきれいなことばで方針を立てても、ことばである以上、多様な解釈の余地を残すところが、ことばの方針の良いところであり悪いところである。ゆえにインパクトを与えたいアウトカム指標をどう設定するか、どう測定するかは、頭の痛い問題だ。本書を踏まえながらいえば、(現実的であるかはいったん置いておいて)何を実現したいかを、謙虚にまっすぐに表現することが必要と感じる。

公共政策はえてして、実務レベルの詳細を十分に重んじません。きまりや手順は、汚職やムダを避けるため、あるいは公正さを確保するために設けられており、往々にして臨機応変な対応の妨げになります。(中略)ひとたび政策が公表され、予算がつき、予算権益を守ろうとする勢力が生まれると、成果があがるかどうかとほぼ無関係にその政策は残されてしまいます。(P228)

 冒頭でも述べたとおり、政府セクターは基本的に構造的に機能不全だ。政府が手を出すと、臨機応変さ・アジャイルさを仕組みに組み込めないし、多かれ少なかれ必ず既得権が発生してしまう。だからこそ、基本的に政府は必要最低限のこと以外はしないべきだ。この点イデオロギッシュになってしまうのだが、いま2024年3月の自分は、基本的に小さな政府をめざすべきだと思っている。福祉国家の隆盛は、市民社会・企業らにソーシャルマインドがなかった時代には良かったのだが、今はもう少し民を信じたほうがいいと思っている。

行動経済学が最強の学問である

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 これまで既に何冊か、行動経済学やナッジ等について言及する書籍に触れてきたところだが、「行動経済学の基礎知識から主要理論までを網羅、体系化した(※:筆者によるまとめであり、行動経済学全体でコンセンサスを得られた体系ではないことに留意)」という本書の触れ込みに惹かれ、知識の重複があるかもとは思いながら、思わず購入。行動経済学は、極めずとも教養として知っておくと良いと思っているが、その理論を概観・まとめることができ、とても有用であった。
 特にシステム1のくだりが、最も新たな知見として得られた部分だ。書籍で言及されているとおりだが、わたしたちは普段ビジネスの現場で、消費者などの相手方をシステム2で考え(=むやみに理屈だてて)その行動を表現しようとしてしまう。しかし実際の消費者システム1で直感的に物事を選んでいる(自分自身の日々の生活を考えてみればそうだろう)。特にtoCに関しては、もっとユーザー視点に立り、自分がユーザー視点だったらどう直感的にどう感じるだろうか、という視点を持ちうることが重要だろう。

以下、自分用メモというかチートシート

1 認知のクセ

 ◯システム1とシステム2
  ・人間の脳は、直感的に考えるシステム1と注意深く考えるシステム2のモードがある。
  ・システム1があるのは、意思決定のスピードを省力化・迅速化するため。
  ・ただし直感的であるため、非合理な意思決定をすることもある。
  ・仕事に慣れてきたころミスが増えるのはシステム1で判断するようになっているから。
  ・非流暢性をあえてつくることで、システム1を意図的に排除できる。
 (1)メンタルアカウンティング
  ・人はどうお金を使うかによって、同額でも感じ方が異なる。サンクコストが代表例。
 (2)自制バイアス
  ・自分には自制心があると過大評価する傾向。
  ・誘惑に負けないとするより、仕組みで対処することのほうが大切。
 (3)ホットハンド効果
  ・ある事象が連続して起こると、次もそれが起こると思い込む傾向
 (4)フットインザドア
  ・物事をお願いするときは、小さなお願いから始めることが効果的
 (5)確証バイアス
  ・何かを思い込んだら、それを証明するものばかり意図的に集めてしまう傾向
 (6)真理の錯誤効果
  ・ありえないと思うことでも繰り返し見聞きすることで、信じてしまう傾向
 (7)双曲割引モデル
  ・遠い将来のことになるほど時間の差が気にならなくなる傾向。
 (8)解釈レベル理論
  ・「今」に近いほど具体的に、「未来」であるほど抽象的に考える傾向
 (9)計画の誤謬
  ・あらゆる計画は甘い見積もりになってしまう傾向
 (10)デュレーションヒューリスティック
  ・サービスの内容よりもかかった時間で評価してしまう傾向

2 状況

 ◯人は状況によって決定させられる
 (1)系列位置効果
  ・人は順番によって記憶の定着度合いが変わる
  ・初頭効果と親近効果によって最初と最後が残りやすい
 (2)過剰正当化効果
  ・内発的動機で取り組んでいたところに外発的動機を用意されるとモチベーションが下がる。
 (3)情報オーバーロード
  ・多すぎる情報は、人を疲れさせる。
  ・パフォーマンスを下げるだけでなく、心理的・身体的病気にもつながりうる。
 (4)選択オーバーロード
  ・人間は選択肢が多いこと自体は好むのだが、選択肢が多いと、選べなくなってしまう。
  ・デフォルトをつくったり、デシジョンツリーなどでの対応するなどの取組が有効。
 (5)プライミング効果
  ・色、音楽、といった刺激によって行動が変容する。
   ex 強く前向きなことばを発すると部下のパフォーマンスが上がる。
 (6)フレーミング効果/プロスペクト理論
  ・何を強調して表現するかによって受け手の行動が変わる。
   ex 100人中20人が当たる or 100人中80人は外れる
   ⇒人は得るものを強調されると、確実性を求めリスクを避ける
   ⇒逆に損失を強調されると、リスクをとるようになる
 (7)並列評価/おとり効果
  ・誰も選ばない選択肢をつくり、並列評価させて選ばせたい選択肢を選択させる
 (8)アンカリング効果
  ・最初に提示された内容が基準になり、その後の判断が非合理に歪む。
   ただし、精通しているものには効果はない
 (9)パワーオブビコーズ
  ・人にお願いするとき、なんでもいいから理由をつければ受け入れてもらえる可能性が高まる。
   ただし、小さなお願いごとに限る。
 (10)感情移入ギャップ
  ・未来の自分を理想化してしまう傾向

3 感情

 ◯アフェクト
  ・一瞬よぎる言語化しえない微妙な感情の揺れ動きが「アフェクト」
  ・人間は「アフェクト」を近道に、システム1で意思決定する
  ・アフェクトはこれまでの人生経験の中で培われる。
 ◯不確実性・コントロール
  ・自分で決定できない状態や、先が読めない状態は人間にとってストレス。
  ・人間は実際に悪いかどうかではなく、悪い結果になるかもと確定していない状態
   のほうがストレスを感じる傾向
 (1)拡張・形成理論
  ・ポジティブな感情は、視野や思考の幅を広め、能力・活力・意欲を高める。
  ・身体や心の不調を整えるばかりか、レジリエンスも高まる。
 (2)心理的所有感
  ・自分のものだと思うことにより行動が変わる。
   ex 組織にコミットしている人間のほうがパフォーマンスが高い。
 (3)保有効果
  ・自分が所有しているものは、価値を高く見積もる傾向。
 (4)認知的再評価
  ・自分のアフェクトに目を向け、捉え直すことで役立てることができる。
  ・ネガティブ感情は抑え込もうとすると逆効果で、ポジティブに捉え直したほうが効果的。
  ・ただし、ネガティブ感情もほどよいプレッシャーならプラス効果。
 (5)キャッシュレス効果
  ・キャッシュレスは、お金を使う痛みが薄いため散財しがち。
 (6)目標勾配効果
  exポイントカード
  ・こんなに集めた、というポジティブなアフェクトを生み出す仕組み。
 (7)境界効果
  ・自分以外にコントロールされていると強く感じている人には、
   囲み枠などの境界のあるパッケージが有効。

「原因と結果」の経済学 データから真実を見抜く思考法

 EBPMといわれて久しいが、実務の世界ではまだまだEBPMなんぞ意識している人はいない。正確には頭ではわかっているのだが、そんなことをやっている暇がない、というのが正確なところだが。まして政策の世界では(デジタル化によって取れるデータが増えてきたとはいえ)定量的では図れないものが非常に多くある。国単位のマクロ政策ならまだしも、市町村単位となるとなおさらである。
  
 

 いまさら相関関係と因果関係は違うよ、といってそんなことは当然わかっているわけであるが、因果関係に迫る手法自体はいろいろあって、なかなか覚えられないのでこの機会に自分用としてメモしておく。

◯因果推論の5ステップ
 1 原因はなに
 2 結果はなに
 3 まったくの偶然ではないか?
   交絡因子は存在していないか?
   逆の因果ではないか?
 4 反事実をつくる ex ◯◯政策を実施しなかった場合
 5 比較対象をつくって比較する

◯比較手法
 1 ランダム化比較試験:
  介入群と対照群に分けてその差を比較する
 2 差の差分析:
  (介入群と対照群が同じトレンドで推移するという場合に)
  介入群の結果と対照群の結果との差をとる手法
 3 操作変数法:
  結果ではなく原因に変化を与える第3の変数(操作変数)を用いて
  介入群と対照群に分ける
 4 回帰不連続デザイン:
  恣意的に決定されたカットオフ値を用いて、介入群と対照群に分ける
  (例えばx歳から制度が変わる場合の(x-1ヶ月)歳と(x+1ヶ月)歳)
 5 マッチング法:(省略)

限りある時間の使い方(Four Thousand Weeks :Time Management for Mortals)

 本書は、タイムマネジメントのハウツー本ではない。むしろそうした世にはびこる「タイパ」志向に対して疑義を投げかける本であり、内容は哲学的なエッセイに近い。どうあがいても人生は4000週間しかない。そもそも時間と戦うな、時間を支配下に置こうとするな、と繰り返し説く。全ての物事を達成することはできない。その現実を受け入れた上で、絶望せずとも豊かに暮らせるはずだと提案している。

 第1部のタイトルは「Choosing to choose」である。何もかもをやることは無理だという現実を直視し、「選択しない」誘惑を捨て、「選択する」ということを「選ぶ」ようにしないといけない。全ての物事をこなそうという行為は、選択の先延ばしである。全てをこなそうという行為は、自分の中での何を優先するべきか、という思考を失わせる。完璧主義者は、むしろ逆に身動きがとれなくなってしまうのである。重要なタスクだけを選び取り、今すぐはじめることが最も良い。

 第2部では、「Beyond Control」である。時間や現実をどうにかコントロールしてやろうなどとしてはいけない。だから不安になってしまう。未来を思い通りにしようとすればするほど、「今」という時間が「未来」の準備のために消費されていく。自分がどこに向かうかを考えてばかりで、自分がどこにいるのかがわからなくなる。しかも未来は結局のところ不確実であり、絶対的な保証は何もない。理想的な未来など、本質的にはたどり着けない。未来に一喜一憂せずに「今」を噛み締めて、マインドフルに生きたほうがいいのである。そして「今」の時間の使い方は決して、なにかをしなくたっていいし、無益な趣味だっていい。さらに、その「今」という時間は、他者とシェアしたほうが、幸福感は高まる。現代はタイパ志向や、行き過ぎた個人主義により、多くの人の生きる時間がバラバラになってしまっている。

 本書は最後にこう締められている。

 時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、自分に与えられた時間をしっかりと生き、限られた時間と能力のなかで、やれることをやったかどうかだ。

 限られた時間をどのように使うか、タイパではなく質的なところで見つめ直そうとする著者の姿勢は、共感するものであった。自分自身、仕事と家庭、本当は何らかの活動をやりたいが、そこに子育てが乗っかって・・・となかなか思うように時間を使うことはできない。だが、それでいいのだ。ちゃんと優先順位さえつけていれば。後押ししてもらったような、救ってもらったような気持ちになる、そんなエッセイだったと思う。

 一方、「未来のために生きるのはやめよう」という主張については、若干疑問符もある。未来をこうしたいと思うからこそ、今の取組にしっかりフォーカスして楽しむ・集中する。すなわち「今を生きている」という捉え方もあるのではないだろうか。未来を完全にコントローラブルなものとして捉えるのはもちろん無理だと思うし、未来のために今を楽しまない・犠牲にするのも違う。でもだからといって、未来のために楽しんで活動している、ならばそれは今を見ていることにならないだろうか。

 「無益な趣味」についても、自分の捉え方は異なる。無益と思うことだって、人生を彩り構成する自身の学びや体験である。それらを糧に我々は日々歩んでいく。もちろん生産のために行っている活動ではないから、短期的には無益なのかもしれない。しかしその無益が人間を形成している。そして巡り巡ってその無益から得られた何かが思わぬ形で生かされる瞬間が現れることがある。するとその瞬間に、無益だったはずのことが無益でなくなっていく。著者は、打算的な「未来の準備のための」という枕詞のつく活動じゃなくていいじゃないか、という程度の意味で言っているのかもしれない。ただ、「無益な」という(翻訳の問題かもしれないが)ワーディングではなく、「自分の好きなこと」という意味合いでいいと思う。

世界はあなたを待っている―社会に持続的な変化を生み出すモラル・リーダーシップ13の原則

 社会起業家を支援するファンド「アキュメン」のCEOであるJacqueline Novogratzが、これまでの半生で経験した具体的かつ生々しい実務、実体験、実例をベースに「社会変革のための14の鉄則」を紹介していくもの。
 
 たまたま自分のパートナーの書棚にあるのを発見したもので、自分の意志では手にとっていたかどうか分からない。ゆえに、あえて読んでみることにした。
 
 以下、印象の強い内容、事柄にフォーカスして記録しておく。

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1)一般的慣行の落とし穴にはまらない

 一般的慣行に従うことが善の力になるときと、そうならずに私たちの良心を圧殺してしまうときを知らなくてはならない。進学者ラインホルド・ニーバーは、「集団は個人よりも反倫理的だ」と書いている。私たちは、自分より大きなシステムに責任を押し付けることによって、「歩調を合わせる」しか選択肢はなかったのだと自分を納得させがちだ。けれども、変化を生み出すという夢に従って行動するなら、より良いシステムをデザインするために必要な関係を構築しながらも、孤立をいとわない根性を見出さなければならない。

 組織人として普段行動していく中で、知らず知らず無意識のうちに、こういった発想に陥っていないか。このためには、やはり自分の仕事とはなにかを心に刻んでおかないといけない。3人レンガ職人の逸話のように、自らのミッションを自らに落とし込み、行動原則にしていかなければならない。

2)市場の力に惑わされず、それを活用する

投資は手段であって目的ではない。市場が失敗し、援助が届かなかったところに、あえて足を踏み入れること。資本を私たちのために機能させるのではって、資本に支配されるのではない。

 人は「よりよくなりたい」という欲を持つからこそ、新たな価値を、ビジネスという持続可能な形で生み出すことができる。自由という原動力がなければ、社会へのインパクトは生まれない。だからこそ、個人の自由な活動は限りなく尊重されるべきだ。ただしかし現状は、単に個人の欲望を叶えるだけの、周囲や自然環境との調和を図らないシステム(要は市場の失敗ということだが)と成り果てていることが問題だろう。
 なお、このことについて、著者は金銭的リターンではなく、ミッションを第一義的目的に据えるよう説いている。しかし調和を原則に置きながらも、自由という原動力を市場経済で増幅していくことは、システムを使う人間側に倫理観と忍耐がなければなし得ないことなのか。その他に達成手段はないのか。

3)可能性を引き出す物語を語る・マニフェスト

物語が重要な意味を持つのは、影響力があるからだ。どの物語を選ぶかによって、どういう自分になるかがしばしば定義される。

 自分自身、他者、あるいは社会、全てにおいてポジティブなナラティブと、ネガティブなナラティブは混在している。そのことは必ず謙虚に受け止めなければならない。どちらかの視点だけを認識してもいけないし、ある1つのナラティブに固執してはいけない。ネガティブなものを選べば、自然とネガティブな存在に定義されてしまう。リーダーの努めは、混在しているものを認識した上で、人を動かすために、チャンスを語らなければならない。

 価値観を言葉にすることで行動を導き、コミュニティの結びつきを強めることができる

 マニフェスト、すなわち行動原理・価値観という形でナラティブを整理することも重要だ。自分、あるいは組織は、何を実現したいのか?社会に対してどのようなインパクトを生み出したいのか?明文化した上で、手段を整理する必要があるだろう。翻って自身を考えたとき、自分が所属する組織では、ミッションがあまりにも当たり前と思われすぎていて、逆に誰もすり合わせ、答え合わせをしていないように思える。本当に皆で同じ方向を向いているのか、実際には誰もわかっていないのではないか。

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 社会起業に対して理想主義だと冷笑することは簡単だが、理想を掲げなければ何事もなすことはできない。著者は、まさに血のにじむような実体験からそれを証明してくれている。一方で、そうした倫理と忍耐力を持ち、理想を掲げゲームチェンジを仕掛けられるプレイヤーは、どう生み出していくのか。やはり教育か。きっと一代での劇的な変革はない。何代も重ねて、徐々に倫理レベルとでもいうべきものを、人類という種全体で底上げしていくしかないのかもしれない。

シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成

 実は発売当初(2020年ごろ)、いわゆる「話題の図書」的な平積みコーナーに置かれていたころには購入していたのだが、今更の読了となってしまった。当時、ある程度は読み進めていたのだが、どうにも自分の知識不足で理解が及ばなかったことに加えて、著者の少々もったいぶったような記述ぶりのクセも相まって、読みきれず積んでしまったままになっていた。

 それからたかだか2~3年しか経っていないのだが、その間に、自分は「G検定」を通じてAIの基本的な仕組みを知ったし、仕事はマクロ視点のビジョン作りに変わったことで、視野を幅広く持つようになった。世の中的にはコロナの隆盛があり、生成AIが盛り上がったりと、様々な動きがあった。今現在のこの立ち位置の自分ならば、この本の内容を受け止められるのではと思い、今一度読んでみることにした。

 実のところ目からウロコの真新しい視点があったわけではないのだが(当時から成長し、内容を理解できるようになったからこそ、と思っている)、まさに今自分がミッションとして与えられている事柄、そしてそれに対して自分が持っている複数のピースが、著者の視点、言語化でまとめられていると感じた。

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 本書は、コロナや生成AI前に着想している内容であることに留意する必要があるが、その内容は2023年現在でも当然に通用する。タイトルのとおり国家視点での発想・提案が基本ではあるが我が国における「人」という資源を、「どのように、よりよく活かすか」が主題である。

 AI×データ社会の到来によって「決まったことをしっかりとこなす」については、マシンがフォローアップしてくれるようになった。こうした時代の到来の中、将来を生き抜く人材のありようについて、以下のようなことばで表現している(目についたものを抜粋)。
 ・ヒトにしかできないこだわりや温かみの実現
 ・未来を意志を持って描く
 ・領域を超えたものをつなぎデザインする力
 ・人に伝えられる
 ・問題を正しく見極め、解決できる
 ・自分なりに見立て、それに基づき方向を定める
 ・何をやるかを決める
 ・問いを立て、人を動かす
 ・論理的かつ建設的にモノを考える
 ・ビジネス力、データエンジニアリング力、データサイエンス力

 特に「未来を意志を持って描く」ことは、非常に難しいことではあるが大事なことである。課題解決には「あるべき姿が明確なタイプ」と「あるべき姿から設定するタイプ」がある。前者は、自分の理解では、製造工程等における改善活用の領域感に近いのではと思っていて、先程のとおり決まったことをしっかりとこなすという意味で、もはや人間は勝てない。しかし現状のAIは、無からあるべき姿を設定する力を有していないので、後者こそが人に求められているスキルであるといえるだろう。

 未来を描くことも含めた先述の人材の有り様を身につけるにあたっては、やはり教育システムを変えていくことが必要だ。先般の「21世紀の教育」の内容も然りだが、やはり我が国の教育は(自分自身が義務教育を受けたころと根本的な部分で変わっていないという前提であれば)質的に立ち遅れているといわざるをえないのだろう。加えて本書では、我が国は科学技術・教育投資が少なすぎるので、国家としてのあらゆるリソースの配分量を見直す必要があるという提案がなされている。すなわち教育が量的にも立ち遅れているということである。

 shibadog-john.hatenablog.com

 ただ2023現在、自分の観測範囲では既にこうした「人ならではの、人だからこそ」という視点で人材育成に関するキーワードは既に溢れているように見える。社会システムへの実装が追いついていないだけで、この本に限らず、すでに多くの人々が論じており認識しており、一般的見解になっている(なりつつある?)ものだと思っている。

 そもそも教育とは、一人ひとりの人生を豊かにする(今風にいえばウェルビーイング)活動であり、またそれらの総体としての国という共同体を、ポジティブに変革していくという意味で、未来を創るための最も基礎的な活動だと思う。一方でいかに我が国のシステムが、半世紀も前の右肩上がりだったころうまく行っていた(のかもよくわからないが)システムを亡霊のように未だ使っているのか。しかし皆頭ではわかっているはずなのに、現状を変更できない。

 それでも「人ならでは」の認識が高まっている中、これから少しずつでもより良く変化してことを期待している。また自分も自らの仕事を通じて、価値観の共有に微力ながらコミットし、社会変革の一助となれるよう、精進したい。

「答えのないゲーム」を楽しむ思考技術

いわゆる経営理念・企業理念のような、組織の価値観・行動規範・カルチャーを作る仕事をしているが、まさに「答えのないゲーム」の迷宮に入り込むことが多い。事業を動かしていく場合は、めざしたい価値観(目的)はすでに設定されているはずなので、そこから自ずと導き出される手法の中で、よりベターなものを選択する、という思考をたどりやすい(それでも答えがあるわけではないが)。理念づくりは、抽象度が高い上に、思索がオールジャンルに渡って焦点が絞りにくいところが事態を余計に困難にさせていると感じる。

 コンサルタント出身の筆者の思考技術を紹介する本。厚みは普通のビジネス書籍程度あるのだが、しゃべくり内容をそのまま文字起こしたような、カジュアルであり情熱的な文体でアッサリ読める程度の文量となっている。ただ、内容はかなり面白く、なぜその思考が必要かを例示を踏まえつつロジカルに説明した上で、その思考技術をクセにするための合言葉を暗記して使え!という、実践的な研修を受けたかのような印象を受ける1冊。ただし途中例示が悪いのか、理解が難しいロジックもあったので、今一度読み直したい。

 以下、覚えるべき口グセ(合言葉)。ネタバラシではあるのだが、amazonの商品紹介ページにもほぼほぼそのまま書いてあるので、たぶんいいのだろうと思う。

「答えのないゲーム」にはこの゛3ルール″

1「プロセスがセクシー」
 ⇒セクシーなプロセスから出てきた答えはセクシー。
2「2つ以上の選択肢を作り、選ぶ」
 ⇒選択肢の比較感で、゛より良い″ものを選ぶ。
3「炎上、議論が付き物」
 ⇒議論することが大前提。時には炎上しないと終われない。

ファクトから示唆=メッセージを抽出するためのキーワード

1「見たままですが」 
 ⇒とりあえずファクトをいう
2「何が言えるっけ?」
 ⇒どんな示唆(合っているかもしれないが、実際のところはわからない)がいえる?
3「それは何人中何人(が納得するもの)?」
 ⇒ロジックを聞くと「確かに」と思えるものが示唆のギリギリライン
  著者は、100人中3人が納得するものを「プラチナ示唆」と呼称
  セクシーなプロセスで出た示唆を議論でぶつけ合おう
app「にもかかわらず」
 ⇒示唆には必ず、対比がセット。
 「(常識・知識)にもかかわらず、(ファクト)ということは、(示唆)に違いない」

炎上を回避し、議論を健やかにする思考技術

1A(自分の意見)とB(相手の意見)を真っ向から対立させて議論してしまうと、
 「答えのない」ゲームにおいては、「水掛け論」。
2だからB(相手の意見)を完全否定してはいけない。
3B(相手の意見)が成立する「条件」を提示して、その「条件」を否定する。

 ⇒構文としては「◯◯◯(条件)なら、賛成だが今回の条件は、▲▲なので反対」
  これ理屈はわかるのだが、肝心の「B◯条件」を具体にイメージできるかが結構難しい印象。

思考プロセス、問題解決プロセスを

1(サブ)論点を立てる。
 ⇒ex「◯◯について調べてください」・・・何がわかったら、調べたといえるのか?
  (ヌケモレなくは意識せず、重要度で考えればよい)
2ファクトから示唆を抽出する。
 ⇒調べたことから、「見たまま」⇒「何が言える?」のプロセスで。
  また、眼の前のファクトだけでなく、あわせて類似事例調査を行うとよい。
3仮説をつくる。
 ⇒重要度の高いと思う示唆をいくつか使って仮説をつくりきってみる。
  (全ての示唆に辻褄をあわせずとも良い)
4仮説を検証する。
 ⇒他の全ての示唆をぶつけてみる(ツッコミをしてみる)
  ex「そんなわけない。だって(仮説づくりに使っていない示唆)なんだから。」



 思考クセとして身につくように、何度も思い返したい。

21世紀の教育 子どもの社会的能力とEQを伸ばす3つの焦点 (The Triple Focus :A New Approach to Education)

 親になり、日々様々なことを吸収していく子を見ながら日々悩ましく感じている。激動の時代において、どう子どもに向き合い親として何を伝えていくべきか。勉学については得手不得手があるので、偏差値競争をしてほしいとは全く思わないが、自らの希望するよりよい未来を掴み取れる人であってほしいと思う。(その一方で、基本的に子どもはなるように育つという楽観(諦観?)な見方をしている面もあるのだが。)

 ”EQ”"Social Emotional Learning"のダニエル・ゴールマンと、"システム思考"のピーター・センゲの共著。(余談だが、センゲの「学習する組織」は途中で挫折。。再チャレンジしたい)それぞれの領域をコラボレーションし、教育において3つの焦点が重要であると説いている。

◯自分自身(Inner)
 ・自分に気づく力(セルフ・アウェアネス):自分の思考や感情を見つめ、理解する能力。
 ・認知制御:反射的に行動せず、自分を理解した上で、マネジメントする力。
 ⇒認知制御力はやり抜く力につながるため、学業成績も良くなる。学ぶ力を高める上で、認知制御は欠かせない能力である。
◯他者(Other)
 ・認知的な他者理解:他者がこの世界をどう見ているかを理解し、メンタルモデルを理解する。
 ・感情的な他者理解:相手の感情を理解する。
 ・他者理解からの配慮:他者により良くなって欲しいという配慮を持つ
 ⇒単に他者を知るだけでは足りず、「他者のことを大切に思い、助けようと準備ができている状態」であることが重要。英語でいえば「Compassion」であるが、単なる思いやりではなく「共感を超えた叡智ある思いやり」状態。
◯外界(Outer)
 ・システム思考:全体を俯瞰し、社会の動的な複雑性(時間的遅れ等)を理解する。
 ⇒現代の地球システムの変化は、これまでの進化で人間が獲得してきた知覚では、マクロすぎるかミクロすぎ、感知できない。システムを理解しなければならない。

 現代の標準的な教育は、できるかぎり細分化・断片化した分析に重きを置く「還元主義」的なものとなっている。そもそも社会システムの複雑性を理解する上では、さまざまな情報や知識の「統合」の観点が必要不可欠である。"SEL"をベースに、システム思考を組み合わせた"The Triple Focus"は、自身・他者・外界の3つの焦点から俯瞰的な想像力を高め、「よりよい意思決定を引き出す」ことができるようになるという。
   
 また。"The Triple Focus"を子どもたちに伝えていくためには、以下の原則に基づくと良いとされる。
  ・子どもにとって、リアリティと理解のプロセスを重視
  ・子どもにとって現実感のあるテーマを設定
  ・子どもが自ら仮説、検証を行う
  ・他者とともに活動し、学び合う 助け合える関係をつくる
  ・常に行動と思考の両面に注意を向けさせる
  ・当事者性をもたせる
 

ーーーーー
 実態はわかりかねるが、我が国の学校教育の現場でも、おそらく単に知識を詰め込む教育では足りないと、模索が続いているのであろうと思う。一人の親として、また次世代に対して社会を引き継ぐ責任ある大人として、子どもたちに伝えていくべきことが、まとめられていたように思う。 

すごい言語化 「伝わる言葉」が一瞬でみつかる方法

 先のエントリでも言及したが、割と抽象度の高い概念をたたかわせるような仕事をしている。それもあって、どうも議論している者同士での認識合わせからうまくいかないことが多い。なんとかして双方向に伝える・伝わる環境をつくれないかと、タイトルだけであまり調べずに購入。
 

 言語化のhow toテクニック集を(自分が勝手に)期待して購入したのだが、言語化に向けた考え方が整理されている本、が正確である。
 まず筆者は、言語化の法則として「PIDA」を提唱している。

  Purpose 目的の整理:なんのために言語化するのかを考える
  Item 項目の選定:何を伝えれば言語化できるのかを考える
  Define 項目の定義:項目の意味を定義する
  Apply 当てはめる:意図に合う表現を使う

  具体例に当てはめると
  P 商品を買ってもらう
  I 品質の高さを言語化する
  D 品質が高いとは壊れにくいということ
  A 故障率◯%
 
 こうして言語化されることで、相手が認識していなかったその項目の価値を浮かび上がらせる、それが言語化であるという。

 また、ビジネスにおけるItemの考え方には以下の5ステップが提案されている。
  
  ①提供する価値
   ⇒導入することでどのような変化を得られるのか
       〃   どのような感情になれるのか
    それにどのようなこだわりがあるのか
  ②他者との差別化
   ⇒他者では実現できない目的が達せられる
  ③自社の信頼性
   ⇒これまでの実績
   ⇒価値を提供したい理由・ストーリー
  ④価値が提供されるプロセス
  ⑤相手にとってもらいたい行動

 最後に、言語化のためにはことばの「定義」が重要であると解説される。日常に使用される言葉・キーワードたちの多くがあいまいなまままかりとおっている。この点は確かに、自分自身の仕事に立ち返ってみたとき、忙しさにかまけてなかなか定義付けをせぬままに走っている場面が多くあると思い、反省した点である。 


 総じると、筆者の主張として言語化とは、「どう(how)伝えるかではなく、何を(wthat)伝えるか」であると説いている。ようは言語化の意図や、伝えるべき相手、伝えるべき項目を5W1Hで考えろ、ということであろう。おっしゃるとおりなのだが、ある意味当たり前のことを言っているようにも感じた。理屈はわかるのだが、実践できるかはまた別問題、というような気もする。

「変化を嫌う人」を動かす 魅力的な提案が受け入れられない4つの理由

 いま、「変える」をテーマに仕事をしている。いわゆる経営理念的なものを作るセクションにいて、組織をこれからの時代を生き抜くものにバージョンアップすることがミッションである。ただ、どうにもお題の抽象度が高く、なかなかどうして「変える」が必要なのか、伝わりにくいと感じている。

 本書によれば、変化には後述する4つの「抵抗」があり、むしろそちらを取り除かなければ、アイディアがどれほどまでに素晴らしいものだとしても、またいかにそのアイディアの素晴らしさだけを伝えても、相手には動かすことはかなわないという。

「惰性」
 自分の知っていることに固執しようとする力/よくわからないアイディアに対する不信・拒絶/変化よりも不変を、未知よりも既知を好む傾向/現状維持バイアス
「労力」
 変化を起こす(受け入れる・実行する)ために必要なコスト、最小努力で済ませようとする傾向、具体的にどうすればわからない「茫漠感」
「感情」
 提示されたアイディアそのものが生み出す脅威、選択を誤ることに対するリスク
心理的反発」
 アイディアによって変化させられようとするプレッシャー、アイデンティティを覆すようなアイディア

 人間はそもそも、ネガティブな感情に対して、敏感に反応する生き物である。そのため、アイディアを正面から訴えること(本書では、「燃料」と表現している)は、効果がないわけではないが、それだけで突破するには、何度も何度も訴え続けなければならない(燃料を注ぎ込まなければならない)。しかし、「抵抗」は、相手側の思考であるがゆえに見えづらいところがあって、我々はついつい、燃料頼みで変化を起こそうとしてしまう。

 本書ではさらに、それぞれ4つの抵抗に対抗する手法が紹介されている。

「惰性」
 ◯アイディアに慣れさせる
  ⇒反復して何度も繰り返す(単純接触効果)、小さく始める、提案を典型的なものに似せる、例えを使う、慣れるまでの時間を与える
 ◯相対性を取り入れる
  ⇒極端な選択肢をつくる、尖った選択肢を基準点にする
「労力」
 ◯ロードマップをつくる
  ⇒行動の実施方法、タイミング、きっかけを設定し、知らせる
 ◯行動を簡素化する
  ⇒フローをつくって改善する、新しいアイディアをデフォルトの選択肢にする、ノーと言いにくくする
「感情」
 ◯なぜ抵抗するのかにフォーカスする
 ◯お試しができるようにする、決定を覆せるようにする
心理的
 ◯変化を無理強いしない
 ◯「自己説得」へ誘導し、メンバーの前で共有させる
 ◯イエスを引き出す質問をする
 ◯ステークホルダーとともにつくる(コ・デザイン)
 

監訳者の言葉にもあるとおり「How to think(ハウツー)」本として、体系立てて非常にわかりやすくまとめられており、早速生かしたいと思える1冊。

社会的共通資本

社会的共通資本 (岩波新書)

社会的共通資本 (岩波新書)

 前回の「人間の経済」に引き続き。
shibadog-john.hatenablog.com
 両者を通じて感じることは、「私有」をどう考えるか、もっと言えば「私有」との闘いということなのかなと思う。

 社会的共通資本とは、本書はしがき(pⅱ)によれば、以下のように語られている。

 一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような装置を意味する。
 社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本が社会的共通資本の重要な構成要素である。

 この社会的共通資本が、どのように維持管理運営されるかが、持続的可能性に結びつくということである。そして現代においては、多くの社会的共通資本が、市場化の名のもとに、金銭で評価取引され、私有されることが往々にしてあるわけだが、それで良いのだろうかということだろう。本書では、農村・都市・自動車・教育・医療・金融機関等の社会的共通資本のあり方について語られている。

 例えば、森林や田畑には、多面的機能とか呼ばれるが、単に木材や食材を生産する場としての機能だけではなく、自然環境全般を維持したり、あるいは温室効果ガスを効果的に酸素に変換するなどの機能がある。その意味で、単に工業と並列の産業とは全く異なる。人類共通の資本(社会的共通資本)であるといっていい。しかし現代の法制度上は、必ずそこ(森林・田畑)には所有者が存在し、多少制限があるものの基本的には所有者の意向によってどのようにでも処分できる。維持管理を放棄することだって可能なわけである。

 また、学校教育に関していえば、本来自由に学術研究をする場であるにも関わらず、どれだけ有効な、というかカネになる研究をしたか、カネになる研究者を輩出したか等、金銭で評価されがちという状況が生み出されている。
 
 社会的共通資本とは少しずれるかもしれないが、中心市街地の活性化などもある意味私有との闘いだと思う。不動産は、必ず周辺の不動産に影響をもたらす。例えば閑静な住宅街に、娯楽施設を建設すれば、住環境は変化する。不動産自体は、私有されるにもかかわらず、その波及効果は私有の内側に留まらない。商店街でいえば、シャッター街はシャッターを増やすし、地道に頑張るお店が存在すればは、まわりに好影響がもたらされる。

モヤモヤポイントとしては2つ。
 ①私有をどう評価するか
 私有というのは自由を求めてきた社会の姿でもあると思うのだが。秩序ある社会の形成と自由とは、トレードオフの関係なのだろうか。そんなことはないと思うのだけれど。
 ②持続可能性を高める手法としてのビジネスをどう評価するか
 いわゆる社会的起業だとかにあるように、持続可能性を高める上で、金銭的価値への変換が必要なケースもあろう。貨幣の全てを否定することはできない。

ソーシャル・キャピタル入門

 そもそもソーシャル・キャピタル社会関係資本)とは何か。例えば内閣府のホームページによれば『「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会組織の特徴であり、共通の目的に向かって協調行動を導くものとされる。いわば、信頼に裏打ちされた社会的な繋がりあるいは豊かな人間関係と捉えることができよう。』と表現されている。非常にざっくり言えば、人と人との関係性が生み出す正の外部経済である。人と人との関係性の中にはマネーを介在しない良い価値があるということだ。2000年代前半には内閣府が調査を行っていたり等、結構聞くことが多かったように思うのだが、最近は定着したのか、あるいは研究として一段落したのか最近はあんまり聞かないようにも思う(たまたまかもしれない。)

 また、本書ではソーシャル・キャピタルに、大きくブリッジング(橋渡し型)とボンディング(結束型)の2つがあると紹介されている。前者は、異質な者同士が結びつくもので、開かれた(乗り降り自由な)ネットワークであることが多い。例えば被災地ボランティアやNPO等はブリッジングに分類される。一方、後者は、地縁組織や学校の同窓会等が当たるとしている。こちらは閉じたネットワークである。前者は異質な者同士が結びつくので、後者に比べてイノベーションを狙いやすい一方で、目的意識にずれがあると結びつきが弱まってしまうジレンマがある。後者は、結束力が強いので一致団結しやすいが、仲間同士の繋がりだけで終わってしまうことや、いわゆる村八分的や、仲間はずれといったダークサイドの面が現れる恐れもある。
 
 なお、余談的になるが、地縁組織をボンディング組織で良いのか、は果たして疑問である。少しミクロな視点で見れば、ブリッジング的な地縁組織、あるいはブリッジング的振る舞いを求められる地縁組織もあるように思う。例えば地縁組織も様々な種類があって、昔ながらの農山漁村のようなところはよりボンディング的要素が強いわけである。が、都市部の人の出入りが多い地縁組織はどうだろう。むしろその土地に縁もゆかりもない者同士を結びつけるという意味で、ブリッジング的な役割が求められているように思える。
以前紹介したshibadog-john.hatenablog.com
において、SDGsを達成する(=現代の地域課題を解決する)には、異なる知見を持つもの同士がそれぞれの知見を持ち寄ることが必要だと説いている。また、他者とのつながりが、異なる規範や価値を理解させることを可能にし、また、革新的な行動を集合的に発展、実施することを可能にする。ということが述べられている。繰り返しになるが、地縁組織は、むしろ住む場所を簡単に移動する現代においては、ブリッジングな役割を強くしていくことが必要なのではないだろうか。
 
 さて、ソーシャル・キャピタル定量的に図るということは、素朴に考えればとても難しいように思える。それは人間の内心の部分を数値化しようとする試みだからである。だが本書によれば、もちろん一定の限界はあるものの、ソーシャル・キャピタルを調査する手法はある程度確立されているようだ。ざっくり言えば、アンケートやヒアリングにおいて『たいていの人は信頼できると思いますか、それとも、用心するに越したことはないと思いますか?』といった質問のような、回答者が回答者の周辺のネットワークに対してどう思うか?ということを調査すれば、ある程度は形になるらしい。そして、こういった調査を通じて分かったことは、一般的に『信頼が高い社会のほうが、生産性も高く、成長率も高い』ということだ。この”信頼”という分かるようで分からない変数が、持続可能な社会を形づくっているということである。でもよく考えれば商取引の界隈でも、金を出せば全て解決するわけでもなく、そこには信頼できるクライアントだからとか、そういった数値には表せないものが存在しているのだから、これは何らおかしいことでも無い。

 戦後の世界における福祉国家の隆盛は、このソーシャル・キャピタルという外部経済を市場内部化することであった。つまり、家族や地縁等でマネーを介在せずに行われていたサービスを、政府が税金を徴収する代わり行うようになったということである。それは例えば、家族介護であったり、地域で子どもを育てるといったようなことである。市場内部化は、高度経済成長期に国家全体として生産性を向上させていくにあたっては、ある面必要なことだったのだろうと思われる。現代になって、ソーシャル・キャピタルが生み出す正の外部生の価値が改めて見直され、これを市場で肩代わりすることは、全く不可能であるということが、ようやく分かってきたということなのだろう。

 一方残念ながら、ソーシャル・キャピタルの毀損は、資本主義・グローバリズムが進行とともにかなり進んでしまっているようでもある。本書によれば『経済的な不平等は社会の構成員の間の力関係を明確にし、富裕層と貧困層との間の社会的距離を増大させ、対決的な社会関係を生み、両者の強調行動を困難にさせる』とし、経済格差が広がれば広がるほど、絶望的な社会になっていくようだ。日本の実証研究においても、格差の少ない都道府県では、非営利活動が活発だったらしい。ここにSNSという新たなツールが加わって、極論ばかりがもてはやされるような残念な世界になっていると思うのは自分だけだろうか(実名を出して恐縮だが、個人的にはtwitterは人間には早すぎるツールだったんじゃないかと思うことがしばしばある。)
 
 最後にざっくりとしたまとめになるが、前回紹介してきた、 
shibadog-john.hatenablog.com
shibadog-john.hatenablog.com
このあたりの本にも記載があるように、市場経済に任せるべき部分とそうでない部分があるということなのだということを改めて感じられた。

これからの研究として、ソーシャル・キャピタルの数値化を取り入れてみたいところである。

データ分析の力 因果関係に迫る思考法

 経済学部だった。でも数字は嫌いだった。計量経済学はもう名前からしてヤバいと思って授業すら取らなかった(必修じゃなくて良かった・・・)。ところが社会に出てみると(というか公共政策業界に身を置くと)、エビデンスがなければ話にならない。しかもそのエビデンスは、定性的なものよりも定量的なもののほうが納得感を得られる傾向にあると思う(本来アカデミックな世界では、定性と定量のどっちが優れているとかは無いと思うのだが)。

 この本は「思考」法とはあるものの、その多くは計量経済学の分析手法の紹介である。その上で、データ分析に注意すべき視点が紹介されているという構成かと思う。なお、数式を使わず、言葉のみでその考え方を丁寧に表現しているので、非常にとっつきやすく、読みやすい。各章にまとめも記載されている。筆者が狙っているとおりだが、入門書として、とても良いと思う。

 公共部門は、データをたくさん持っているがその分析はあまりできていないのが正直なところだろう。あるいはデータのとり方が、あまり分析には適した形になっていないケースもみられると思う(これは実体験に近い)。個人情報等の壁もあろうが、可能な範囲でデータを収集しておくと、後ほど役に立つ、なんてこともありそうだ。その意味で、普段の仕事の仕方が問われるところだと思う。

 以下メモ。ビジネスにも公共政策にも使える分析手法なのだが、個人的都合上、「公共政策」を主語としてメモしておきたい。

1 データ分析手法
(1)ランダム化比較実験(RCT)
 実際に実験を行う手法。政策を反映させるグループ(介入グループ)と、そうでないグループ(比較グループ)を作る。(この際、恣意的なグループ分けにならないよう注意)。政策介入後、グループ間を比較して、差が発生していれば、その政策の効果がそこに現れているとする手法。実際に実験をする手法なので、非常にコストがかかったり、実現不可能な場合がある。
(2)RDデザイン
 実際に実験できない場合に使う手法①:データの中の境界線を使い、その境界線の両側でどのような違いが生まれているかを見出す。書籍内で紹介されていたのは、例えば70歳を境に自己負担額が変わる高齢者の病院受診率への影響など。
(3)集積分
 実際に実験できない場合に使う手法②:階段状のデータを使い、その階段ごとにどのようなデータの集積があるか見出す。書籍内で紹介されていたのは、自動車の重量と、排気ガス規制に関する因果関係。
(4)パネルデータ分析
 実際に実験できない場合に使う手法③:同じトレンドを持つ複数のグループの、複数期間のデータを使い、介入が起きた場合に、一方のグループのトレンドに変化があれば、政策効果があった(因果関係があった)と見なす手法。実際には、「同じトレンド」を持つデータが該当するケースは少なく、利用できないことが多い。

2 データ分析で何に注意しなければならないのか、限界があるのか
・相関関係は、因果関係とは違う。因果関係を分析するのが、RCT等の手法。
・特にRCT以外の分析手法について、データ分析をどこまで完璧に行ったとしても、あくまでそのデータ元の条件で分析されたのであって、それが他の事例に適用するかはまた別(他の市町村でうまくいったことが、自分のまちでうまくいくかは別問題みたいな話)。
・データをできうる限りオープンにしていくことが必要。
・抱え込んだデータがあっても分析できなければ意味はない。単にデータや数字があってもそれはエビデンスにはならない。

行動経済学の使い方

行動経済学の使い方 (岩波新書)

行動経済学の使い方 (岩波新書)

 公共政策分野において、行動経済学は切っても切れないものだと感じる。例えば交通安全におけるソフト的なアプローチ(要するに啓発・啓蒙活動)を考える。金銭的なインセンティブを使わずに、人の意識行動に働きかけるにはどうすれば良いだろうか。ただ単に「危ないです!安全運転しよう!」と叫び続けても、事故が一向に減らないのはご承知のとおりである。このときに、行動経済学的なアプローチが役に立つだろう。ところが普段我々はどこまで行動経済学的な発想を持ち仕事をしているだろうか。

 本書「行動経済学の使い方」では、行動経済学の基本理論から、具体的な使用例までを網羅的に概観することができる。行動経済学は、伝統的なミクロ経済等が考えてきた合理的経済人と、実際の我々人間の行動の差異を、各種実験を通じて明らかにしてきた。例えば、新型コロナウイルスのような感染症を想定する。「90%の人は重症化しない」と「10%の人が重症化する」というのは、全く同じことを言っている。伝統的な経済学では、どちらの表現でも人々は同じ行動をするということを想定する。しかし、行動経済学で明らかになったことは、この表現の違いで、人々の行動は変わるのである。その意味でいうと、経済学とはいいつつ心理学的な要素を含む印象を受ける。

 本書の中で紹介されている理論は多岐に渡るが、例えば、
 ・確実性効果:確実なものを好む傾向
 ・損失回避:損失が起きている段階では、むしろリスクを厭わず、損失を回避しようとする傾向
 ・フレーミング効果:表現方法に引っ張られる傾向(冒頭の例)
 ・保有効果:既に所有している物の価値を高く感じる傾向
 ・現在バイアス:遠い将来のことよりも近くの将来のほうが魅力的に感じる傾向
 ・社会的選好:利他性・互恵性。他人の利得から効用を得る(幸せに感じる)傾向
 ・アンカリング効果:最初に与えられた数字を参照点として、意思決定が左右される傾向
等が挙げられる。これらの行動経済学の理論を活用し、人々にアプローチする手法を「ナッジ」と呼ぶ(逆にこの理論を悪用したアプローチをスラッジと呼ぶ)。ナッジは、人の選択肢を奪わずによりよい選択を促す手法である。

 そしてようやく実践的なお話で、ナッジの作り方について考える。まず、考えるべきは、その意思決定・行動になっている理由(ボトルネック)を考えることだ。例えば紹介されたのは、避難所への避難をどう促すか。考えられるボトルネックは「自分だけは大丈夫」という現在バイアス的なことが考えられる。なお、ボトルネックはその人その人が置かれているケースにも影響を受けるので、これ1つだけではないことに注意しなければならない。

 そしてあぶり出されたボトルネックへのアプローチを考える。アプローチを構築するとき、意識すべき点がある。それは、Easy(簡単なものか)Attractive(魅力的なものか),Social(互恵性に訴えているか),Timely(ベストタイミングか)の4つの頭文字を取った「EAST」である。イギリス政府のナッジのチームが考案したもので、各種フレームワークの中でも最もポピュラーなもののようだ。例えば避難所に避難しない人に対しては、「あなたが避難することで、周りの人も助かります」といったような互恵性に訴えることが1つのナッジとなりそうだ。

 理屈だけをみれば、問題なく理解はできる。しかし恐らく効果的なナッジを作れるようになるためには、ある程度のトレーニングが必要だと思われる。環境省や、横浜市では、公共政策に向けてナッジ活用の研究を行う自主的なグループが存在するようだ。弊市でもこれ、考えたほうがいいんじゃないだろうか。あるいは人事研修にいれてみてはどうだろう。

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