よんだほん

本の内容をすぐ忘れちゃうので、記録しておくところです。アフィリエイトやってません。念のため。

限りある時間の使い方(Four Thousand Weeks :Time Management for Mortals)

 本書は、タイムマネジメントのハウツー本ではない。むしろそうした世にはびこる「タイパ」志向に対して疑義を投げかける本であり、内容は哲学的なエッセイに近い。どうあがいても人生は4000週間しかない。そもそも時間と戦うな、時間を支配下に置こうとするな、と繰り返し説く。全ての物事を達成することはできない。その現実を受け入れた上で、絶望せずとも豊かに暮らせるはずだと提案している。

 第1部のタイトルは「Choosing to choose」である。何もかもをやることは無理だという現実を直視し、「選択しない」誘惑を捨て、「選択する」ということを「選ぶ」ようにしないといけない。全ての物事をこなそうという行為は、選択の先延ばしである。全てをこなそうという行為は、自分の中での何を優先するべきか、という思考を失わせる。完璧主義者は、むしろ逆に身動きがとれなくなってしまうのである。重要なタスクだけを選び取り、今すぐはじめることが最も良い。

 第2部では、「Beyond Control」である。時間や現実をどうにかコントロールしてやろうなどとしてはいけない。だから不安になってしまう。未来を思い通りにしようとすればするほど、「今」という時間が「未来」の準備のために消費されていく。自分がどこに向かうかを考えてばかりで、自分がどこにいるのかがわからなくなる。しかも未来は結局のところ不確実であり、絶対的な保証は何もない。理想的な未来など、本質的にはたどり着けない。未来に一喜一憂せずに「今」を噛み締めて、マインドフルに生きたほうがいいのである。そして「今」の時間の使い方は決して、なにかをしなくたっていいし、無益な趣味だっていい。さらに、その「今」という時間は、他者とシェアしたほうが、幸福感は高まる。現代はタイパ志向や、行き過ぎた個人主義により、多くの人の生きる時間がバラバラになってしまっている。

 本書は最後にこう締められている。

 時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、自分に与えられた時間をしっかりと生き、限られた時間と能力のなかで、やれることをやったかどうかだ。

 限られた時間をどのように使うか、タイパではなく質的なところで見つめ直そうとする著者の姿勢は、共感するものであった。自分自身、仕事と家庭、本当は何らかの活動をやりたいが、そこに子育てが乗っかって・・・となかなか思うように時間を使うことはできない。だが、それでいいのだ。ちゃんと優先順位さえつけていれば。後押ししてもらったような、救ってもらったような気持ちになる、そんなエッセイだったと思う。

 一方、「未来のために生きるのはやめよう」という主張については、若干疑問符もある。未来をこうしたいと思うからこそ、今の取組にしっかりフォーカスして楽しむ・集中する。すなわち「今を生きている」という捉え方もあるのではないだろうか。未来を完全にコントローラブルなものとして捉えるのはもちろん無理だと思うし、未来のために今を楽しまない・犠牲にするのも違う。でもだからといって、未来のために楽しんで活動している、ならばそれは今を見ていることにならないだろうか。

 「無益な趣味」についても、自分の捉え方は異なる。無益と思うことだって、人生を彩り構成する自身の学びや体験である。それらを糧に我々は日々歩んでいく。もちろん生産のために行っている活動ではないから、短期的には無益なのかもしれない。しかしその無益が人間を形成している。そして巡り巡ってその無益から得られた何かが思わぬ形で生かされる瞬間が現れることがある。するとその瞬間に、無益だったはずのことが無益でなくなっていく。著者は、打算的な「未来の準備のための」という枕詞のつく活動じゃなくていいじゃないか、という程度の意味で言っているのかもしれない。ただ、「無益な」という(翻訳の問題かもしれないが)ワーディングではなく、「自分の好きなこと」という意味合いでいいと思う。