よんだほん

本の内容をすぐ忘れちゃうので、記録しておくところです。アフィリエイトやってません。念のため。

ソーシャル・キャピタル入門

 そもそもソーシャル・キャピタル社会関係資本)とは何か。例えば内閣府のホームページによれば『「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会組織の特徴であり、共通の目的に向かって協調行動を導くものとされる。いわば、信頼に裏打ちされた社会的な繋がりあるいは豊かな人間関係と捉えることができよう。』と表現されている。非常にざっくり言えば、人と人との関係性が生み出す正の外部経済である。人と人との関係性の中にはマネーを介在しない良い価値があるということだ。2000年代前半には内閣府が調査を行っていたり等、結構聞くことが多かったように思うのだが、最近は定着したのか、あるいは研究として一段落したのか最近はあんまり聞かないようにも思う(たまたまかもしれない。)

 また、本書ではソーシャル・キャピタルに、大きくブリッジング(橋渡し型)とボンディング(結束型)の2つがあると紹介されている。前者は、異質な者同士が結びつくもので、開かれた(乗り降り自由な)ネットワークであることが多い。例えば被災地ボランティアやNPO等はブリッジングに分類される。一方、後者は、地縁組織や学校の同窓会等が当たるとしている。こちらは閉じたネットワークである。前者は異質な者同士が結びつくので、後者に比べてイノベーションを狙いやすい一方で、目的意識にずれがあると結びつきが弱まってしまうジレンマがある。後者は、結束力が強いので一致団結しやすいが、仲間同士の繋がりだけで終わってしまうことや、いわゆる村八分的や、仲間はずれといったダークサイドの面が現れる恐れもある。
 
 なお、余談的になるが、地縁組織をボンディング組織で良いのか、は果たして疑問である。少しミクロな視点で見れば、ブリッジング的な地縁組織、あるいはブリッジング的振る舞いを求められる地縁組織もあるように思う。例えば地縁組織も様々な種類があって、昔ながらの農山漁村のようなところはよりボンディング的要素が強いわけである。が、都市部の人の出入りが多い地縁組織はどうだろう。むしろその土地に縁もゆかりもない者同士を結びつけるという意味で、ブリッジング的な役割が求められているように思える。
以前紹介したshibadog-john.hatenablog.com
において、SDGsを達成する(=現代の地域課題を解決する)には、異なる知見を持つもの同士がそれぞれの知見を持ち寄ることが必要だと説いている。また、他者とのつながりが、異なる規範や価値を理解させることを可能にし、また、革新的な行動を集合的に発展、実施することを可能にする。ということが述べられている。繰り返しになるが、地縁組織は、むしろ住む場所を簡単に移動する現代においては、ブリッジングな役割を強くしていくことが必要なのではないだろうか。
 
 さて、ソーシャル・キャピタル定量的に図るということは、素朴に考えればとても難しいように思える。それは人間の内心の部分を数値化しようとする試みだからである。だが本書によれば、もちろん一定の限界はあるものの、ソーシャル・キャピタルを調査する手法はある程度確立されているようだ。ざっくり言えば、アンケートやヒアリングにおいて『たいていの人は信頼できると思いますか、それとも、用心するに越したことはないと思いますか?』といった質問のような、回答者が回答者の周辺のネットワークに対してどう思うか?ということを調査すれば、ある程度は形になるらしい。そして、こういった調査を通じて分かったことは、一般的に『信頼が高い社会のほうが、生産性も高く、成長率も高い』ということだ。この”信頼”という分かるようで分からない変数が、持続可能な社会を形づくっているということである。でもよく考えれば商取引の界隈でも、金を出せば全て解決するわけでもなく、そこには信頼できるクライアントだからとか、そういった数値には表せないものが存在しているのだから、これは何らおかしいことでも無い。

 戦後の世界における福祉国家の隆盛は、このソーシャル・キャピタルという外部経済を市場内部化することであった。つまり、家族や地縁等でマネーを介在せずに行われていたサービスを、政府が税金を徴収する代わり行うようになったということである。それは例えば、家族介護であったり、地域で子どもを育てるといったようなことである。市場内部化は、高度経済成長期に国家全体として生産性を向上させていくにあたっては、ある面必要なことだったのだろうと思われる。現代になって、ソーシャル・キャピタルが生み出す正の外部生の価値が改めて見直され、これを市場で肩代わりすることは、全く不可能であるということが、ようやく分かってきたということなのだろう。

 一方残念ながら、ソーシャル・キャピタルの毀損は、資本主義・グローバリズムが進行とともにかなり進んでしまっているようでもある。本書によれば『経済的な不平等は社会の構成員の間の力関係を明確にし、富裕層と貧困層との間の社会的距離を増大させ、対決的な社会関係を生み、両者の強調行動を困難にさせる』とし、経済格差が広がれば広がるほど、絶望的な社会になっていくようだ。日本の実証研究においても、格差の少ない都道府県では、非営利活動が活発だったらしい。ここにSNSという新たなツールが加わって、極論ばかりがもてはやされるような残念な世界になっていると思うのは自分だけだろうか(実名を出して恐縮だが、個人的にはtwitterは人間には早すぎるツールだったんじゃないかと思うことがしばしばある。)
 
 最後にざっくりとしたまとめになるが、前回紹介してきた、 
shibadog-john.hatenablog.com
shibadog-john.hatenablog.com
このあたりの本にも記載があるように、市場経済に任せるべき部分とそうでない部分があるということなのだということを改めて感じられた。

これからの研究として、ソーシャル・キャピタルの数値化を取り入れてみたいところである。