よんだほん

本の内容をすぐ忘れちゃうので、記録しておくところです。アフィリエイトやってません。念のため。

社会起業家になりたいと思ったら読む本 ~未来に何ができるのか、いまなぜ必要なのか~

 政府セクター側にいる人間として、政府セクターの限界は日々感じるところである。すべてのステークホルダーに対して「よい顔」をしなければならない政府に、社会課題を粘り強く解決することは構造的の困難だ。だからこど、社会課題の解決に、ソーシャルイノベーションの必要性は疑うところはない。この本は、自分自身が社会起業家になりたいというよりは、社会起業家と公のよりよい関係性づくりの参考となればと思いよんだ本である。
 ただし本書の全体としての感想は、きわめて一般的・抽象的な内容を、淡々と浅く言及している印象。唯一教育や政府など、自らのイメージがついている部分はともかく、あまり解像度が上がらなかった。固有名詞としての事例は多数登場するが、その紹介の必要性もよくわからなかった。よく言えば完結に結論が書かれているということなのだが、その結論に至るまでのコンテクストの言及が少なく目が滑ってしまった。結果として、もともと感じている課題感を再認識しただけで終わってしまい、自らの考えに新たな変化を生み出すことはなかった。その点、実際の社会起業家である著者自身が自伝的に書いた下の図書のほうが、熱量が伝わり、理解しやすかった。

shibadog-john.hatenablog.com


そもそも10年以上前の図書であることには留意しつつ、公側の人間として気になった部分だけをメモしておく。

政府は、自ら組織を運営し全国サービスを提供するよりも、優れた社会起業の成長やスケールアウトに加担する役割を(P53)

 全く同感であり、政府セクターの基本的に本書が対象としているのは(おそらく)一定のマクロな規模感の社会起業家と、国家レベルの政府を想定しているものと思われる。そのため地方政府セクターの役割や地方政府の置かれている現状までが想像されているようには思われない。地方政府レベルのレイヤーでは、そもそもそうした「種」や「市民」すら存在しないケースも多い。本書では、そうした種を育てるのが政府の役目とするが、種はどこから誰が蒔くものなのかについては、言及不足に感じる。

すでに完成した解決策に対価を支払うやり方をやめて、出資のようなかたちであらかじめ資金援助をするのが望ましい(P55)

 これも全く同感である。社会課題は、基本的にはビジネス的解決が適さないとされるから、社会課題であり続けるということであり、その解決には資金調達がなければ成り立たない。一方、地方政府レベルにいると感じるのは、古から補助金制度などで様々な社会課題に対する事業活動の支援を行っているが、結局のところ補助の切れ目が縁の切れ目であり、「自走」する気がないか、あるいはビジネス的解決がどう考えても適さない、という活動であることが多い。また、出資するという方法についても、その効果をどう図るか、政府として腹をくくれるかどうかは、むしろ市民側・ジャーナリズム側の寛容さ、リテラシーにかかっていると感じる。

高い成果をあげる組織はみな、「これ」という成果指標を持っています。(P150)

 政府セクターにおいても、いわゆる行政評価(政策評価・施策評価)をどう行うかは、長年の課題であり、今後も課題であり続けるものと思う。いくらきれいなことばで方針を立てても、ことばである以上、多様な解釈の余地を残すところが、ことばの方針の良いところであり悪いところである。ゆえにインパクトを与えたいアウトカム指標をどう設定するか、どう測定するかは、頭の痛い問題だ。本書を踏まえながらいえば、(現実的であるかはいったん置いておいて)何を実現したいかを、謙虚にまっすぐに表現することが必要と感じる。

公共政策はえてして、実務レベルの詳細を十分に重んじません。きまりや手順は、汚職やムダを避けるため、あるいは公正さを確保するために設けられており、往々にして臨機応変な対応の妨げになります。(中略)ひとたび政策が公表され、予算がつき、予算権益を守ろうとする勢力が生まれると、成果があがるかどうかとほぼ無関係にその政策は残されてしまいます。(P228)

 冒頭でも述べたとおり、政府セクターは基本的に構造的に機能不全だ。政府が手を出すと、臨機応変さ・アジャイルさを仕組みに組み込めないし、多かれ少なかれ必ず既得権が発生してしまう。だからこそ、基本的に政府は必要最低限のこと以外はしないべきだ。この点イデオロギッシュになってしまうのだが、いま2024年3月の自分は、基本的に小さな政府をめざすべきだと思っている。福祉国家の隆盛は、市民社会・企業らにソーシャルマインドがなかった時代には良かったのだが、今はもう少し民を信じたほうがいいと思っている。