よんだほん

本の内容をすぐ忘れちゃうので、記録しておくところです。アフィリエイトやってません。念のため。

知がめぐり、人がつながる場のデザイン―働く大人が学び続ける”ラーニングバー”というしくみ

 立教大学中原教授の本(執筆当時は東大ですね)。ラーニングバーというパッケージを例にしつつ、「知がめぐる」「人がつながる」「対話がおこる」場をデザインするためのコツがまとめられている。

 なぜ大人の学びが必要なのか?という問いに対して、筆者は「自身の中で固定化された(組織に染められた)考え方・やり方を打破し、変化を起こす(アンラーン)できる人材」が求められていると答えている(※10年前の本!)。そして、ラーニングバーというシステムは、対話を通じて、他人との違いが明確に現れるような場のデザインが描かれている。普通”違い”があると、人間多少なりともストレスを感じるところなのだけれど、そこはバーという名前のとおり、飲食物やBGM等が効果的に使用されることで、その心理的障壁を下げているところがミソだと思う。

 そして、本書終盤には「自分の日常は、他人の驚きであり、他人の日常は自分の驚きである」という記述がある。これは、自分がこれまで仕事として企画してきた所謂「情報交換会」だとか「交流会」等と呼ばれる会合のコンセプトの部分だったり、あるいは会のルールとして設定してきたことと、全く同じ考えたった。つまり、自分が感じていたこと・考えていたことは間違いではなかったのだなと自信が持てた。

 一方で自分が企画する情報交換会しかり、交流会しかりにあるのが「モヤモヤ感」問題。つまり「情報交換」をしても、他人との違いが見えるだけで、解答はない=だから、意味ないじゃんと感じている層に、どうこういった学びの場を訴求すれば良いのか。ラーニングバーのように、参加者全てが能動的な人々、つまり、得た情報を自分ごとに落とし込める人ならばいいのだけれど。自分が企画するものは半ば強制的に・・・というものも多い。
 ①めちゃくちゃ質の良いコンテンツを用意するのか。
 ②「自分の日常は、他人にとっての驚きである」というコンセプトを強く訴えていくのか。
 ③何らかのまとめ(ラップアップ)をファシリテーター的な存在がしなければならないのか。
  etc・・・
 おそらくラーニングバーの場合は、③も一部あるけれど、なによりもまず①があって、それがSNSを通じて口コミで広がっているのが大きい。だからまずもって能動的な人しか集まっていない。筆者も本文中で語っているとおり、学びの場は茶道と同じく、プロデューサー側だけが作るものではなくて、参加者を含めたその場にいる人全員が作るものなのだ。①があって→質の高い参加者が集まって→より①になってというサイクルなんじゃないだろうか。

 あまり結論はでない(やっぱりモヤモヤ)が、ただ今後も「場づくり」を行う上で、ラーニングバーのノウハウも役に立つ部分が多かった。
 
 繰り返しになるけれど、「アイデアは既存の要素の新しい組み合わせ」なんて言葉もあるように、人と人の考え方同士がミックスされていくことが新しい発想やイノベーションにつながるものだと、信じてやっていきたいと思えた。